EXPO'70 パビリオンに行ってみた。その2
さて、万博パビリオンの続きです。中には懐かしいモノや懐かしい風景が見られます。
幼い頃、母親に手を引かれて地下鉄で千里中央から先に進んだのを覚えています。
千里中央で乗り換えだったか、そのまま行ったのかは記憶が定かではありません。
51年前ですから、そうそう覚えている方は多くないでしょう。
太陽の塔もこんな感じで屋根が大きくあったんですね。
今でも太陽の塔の後ろの広場に屋根の一部が残っています。高さは随分と低く設置されているようです。
こんなのが何百個も使われていたんですね。凄いの一言です。
こちらEXPO'70のペーパークラフトで作られた会場です。どれだけ大きなイベントだったかが分かります。
博覧会は1975年に沖縄で開催された「沖縄海洋博覧会」と1985年に筑波学園都市で開催された「国際科学技術博覧会」、
1990年に大阪鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会」、2005年に愛知で開催された「2005年 日本国際博覧会」の5つがあります。
この中でも最大規模は70年のEXPO'70だと思います。
当時、私が大好きだったソ連館が左下にあります。7歳の子供ですから共産主義とかソビエト連邦構成共和国とか意味はわかりません。
単に形が好きだったのです。
余談ですが、日本が博覧会と関わりを持ったのが、1886年のロンドン万国博覧会で福沢諭吉が訪英しています。
実際に日本が参加しだしたのは1873年のウィーン万博からです。明治5年ですよ、すんげぇ!
この建物、ご存知でしょうか? エキスポタワーという展望台なんです。
高さは127mですが、当初は350mもの高さで計画されていたとか?
東京タワーが333mでしたっけ? それ以上の高さを考えていたんでしょうね。
結局、航空機の運航の障害になるとかの理由てせ二転三転して127mになったらしいです。
私はこれに登りたくて登りたくて、子供ながらにダダをこねてました。
結局登れずでした。この丸いのが動くのかなぁ?とかいろんな妄想をしていました。
2002年の8月まで現存し、その後解体されました。今でいうランドマークタワーですね。
エキスポタワーも外壁パネルの一部がEXPO'70パビリオンの前に残っています。
実際に見ると意外とちゃちな作りで、大丈夫か!?と不思議に思いました。
当時の金額で8億円もかけて建設されました。今の金額にすると40億円ぐらいでしょうか。
すんごいタワーを造ったもんです。
なんと、1970年に電動自転車があったんです!
今じゃ当たり前ですが、当時は展示される程の最先端だったんでしょうね。
さらにキャノンの一眼レフ機。時代を感じます。今のカメラの進化が凄すぎて...
当時の記念通過とかメダルとか、色々発売されましたね。もちろん買えませんでしたけど。
何故か1階にはチリのイースター島にあるモアイ象が展示されています。
レプリカ等書いてなかったので、多分本物でしょうね。まさか日本でモアイ象が見られるとは思いませんでした。
他にも色々展示されていて、見応えはたっふりです。
ぜひ太陽の塔 内部と合わせてEXPO'70 パビリオンもご覧下さいませ。